ねここねの思考手記 サブカルミラクルの章

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ある日、突然後ろから刺されて死んでしまう可能性を否定できないけども、それでも生きていたいと思います。

 

 昔、コンクリート詰め女子高生殺人事件ってのがあったのですよ。これは詳細を読んだ時に犯行に及んだ加害者の少年達に対して本当に許せなくなるほどの気持ちが僕の中に生まれたことは今でもよく覚えています。人間は暴力によって弱者を支配して酷いことして楽しんだりする極めて残酷な顔を持っている。勿論、程度の違いはあるし、その程度の違いが酷さの違いなんですけどね。

 

 貧乏な人がいて明日のご飯を心配するレベルで貧乏な人と、明日のご飯の心配するほどでもないけども、大きな怪我や病気なんかしたらお金が足りなくてまともな医療を受けることが出来ないレベルの貧乏な人、もう少し裕福な人。年収で言えば、100万以下だったり、200万以下だったり300万以下だったり、1000万以上もらってたり、とかお金のあるなしにも程度というのがあります。その程度の差は大きな差になって人生を変えます。

 

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 私は川崎の殺人事件の事を知ってから毎日のように川崎の殺人事件のことを考えてしまいます。池袋の暴走事件よりも考えてしまいます。比較することではないですが。しかしながらこの事件、他人を殺して、沢山の人を傷つけて、自分も最後には殺してしまう。成人した大人がやろうと思って行動すれば、大多数の人間には難しいことではないしょう。精神的な制約がなかったり、損得勘定を超えたところに意識がいっていることが前提にはなりますがね。

 

 無警戒の男性を後ろから包丁で刺す、近くのバス停の子供を包丁で切りつける。そんなことを警戒して生きている人はいませんから。これをやられたら、やられた側はまず対処不可能です。やる側はヤル覚悟を決めて実行するだけです。本人がとまらない限りこの手の犯罪は防ぐのが難しいのが日本という国でしょう。それだけこの国は日常の安定的な平和が浸透しているし、安全だともいえます。

 

 誰も、日常のシーンでいきなりナイフを突きつけられるなんて思いません。警戒する必要もないというのが当たり前なのが日本という国なんでしょう。だけども、いきなり後ろから包丁で襲ってくる人間はいるんです。そして、そういう人間は少ないです。

 

 しかし、確実にいる。いや、いた。になるかな。しかし、一人いたら他にもいるんじゃないか? この不安が人を脅します。ある日、後ろから突然包丁で襲ってくる人間はどういう奴なんだ? これが気になる。 そして、似たような特徴を持つ層の人間は予備軍なんじゃないか? という思考になります。そして、そうなる前に何か手を打つしかない。間引いてしまおうと思う人も生まれます。

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 この事件はそういう人が起こした事件にあてはまりますかね。結果論に過ぎませんが、事実こういうことが起こりました。「息子が危害を加えるかも」という不安で親が子供を殺してしまってます。家族には家族の問題があり当事者間にしか分からない動機があります。ですが、親が子供を諦める。そして殺してしまうというのはなんとも言えない悲しみがあります。ですが、この悲しみは当事者達のものです。僕のものではありません。ですが、川崎の殺人事件が大きく報道されたことで起きた殺人事件だとも言えます。

 

 川崎の殺人事件の報道を聞いて不安になり引き金となって息子を殺す親がでる。それをまた、報道する。そして、またそれが引き金になって今度は、親を先に殺すという事件が起こってしまうのではないかと僕は思ってしまったりもします。報道されないだけで親が子供を殺すのも、子が親を殺すのも日本全国的に見ればあります。毎日のように裁判に関わっている人達、趣味で裁判の傍聴している人達はそれを知っているはずです。

 

 

 ですが、ある日突然、後ろから包丁で刺される可能性のあると思うと怖くて外にいけないですよ。それでも外に行くんですけどね。それは何故かというと、ほとんどの人はある日突然、後ろから包丁で刺しにはこないという他者へ信頼が前提としてあるからです。

 

 だから、これからも僕は普通に外に出かけるのだろうけども、その他者への信頼を少しぐらつかせるのが今回の川崎の殺人事件であると思います。

 

 ですがこれといって対策ないです。

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 デューク東郷のような真似するわけにも行きませんし。

 

 結局は人が沢山いて集まって暮らしているということは他人を無意識かで信頼したり信用したりする必要があるんです。そして、その信頼や信用は暴力によって担保されると同時に破壊されます。この世は薄氷一枚です。周囲の人間が自分を殺さないという薄い信頼を頼りに生かされているのが現実です・・・。

 

 殺し合いになりたくないなら、人は人と共存共栄しないとけない。そいつが生きている限り、自分は生きていけないという状態になってしまうと殺し合いに発展することは珍しくありません。そうならないように、人は色々なものを共有したり分け合うべきなんでしょう。ですが。そうは思わない人達もいます。だから争いは絶えることはないでしょう。わざと争わせてそれを楽しんだり、糧にする人さえいるのが人間社会です。

 

 今後も理不尽な事件は起こるでしょう。

 未然に防ぐのも難しいでしょう。

 明日、自分が後ろから襲われて刺される可能性も0パーセントではないでしょう。

 ですが、それでも運よく生きていられるなら明日も生きていたいなと思う人の日常は続きます。その連続した日常の奇跡が続きますように。