ねここねの思考手記 サブカルミラクルの章

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

嘘か本当か、フィクションかノン・フィクションかどうかわりと重要じゃない

 

 テレビとか新聞とか、ニュースとか他人が書いてるブログ記事とか、SNSの拡散した情報なんかで自分に関わりがあるかもしれない事件が起こったり、興味を引かれるような出来事があったときに、よく思うのですよ。

 

 これは事実を書いてると言ってるけども、嘘なのか? 本当なのか?

 

 これはフィクションですと言ってるけども、本当なのですか?

 

 最近読んで思ったのはこの記事

 

togetter.com

 

 僕はこれを読んで、まず思ったのは嫁さんを虐待を続けていた家の人は刑事罰を受けるべきだし、こんなことが許されるなんて......。 というくらいに絶句してしまいました。でも、その後に思うのは、これが嘘でも本当でも今受けた自分への衝撃はあまり変わらないのではないか? という感覚です。 

 

 事実ですと。言われてるのですから事実でいいんです。壮絶過ぎる16年間の人生です。引き取られた家で虐待を受けて、売春まで強要されて、それでも縁あって良い人に巡り合い、結婚までして、その旦那さんに漫画を描いてもらえるところまできた。

 レ・ミゼラブル的な話です。でも、レ・ミゼラブルはフィクションです。ですが、そういうフィクションの方がより衝撃的に心を動かされることが多い現実があったりする。 人は映画とか漫画とかアニメとかで嘘でも感動したり、激怒したり、それを事実と同じレベルで認識してしまうのですよ。

 

 そういう観点から行くとですね。気になる出来事や事件というのはそれが嘘か本当かというのは一般大衆からすればそれほど重要ではないんですよ。人の目を惹けるかどうかが重要であったり、それが役に立つかどうか、参考になるかどうか? そういうのが重要だったりするのですよ。

 

 

 んで、また、無敵の人があらわれましたよ。

www3.nhk.or.jp

 

 路上で小学生と大人を刃物で襲う事件ですよ。しかも、犯人は捕まった直後に首を自分で刺して自殺。これを読んだときに思ったのは、人を殺して自分で自分の首を刺して死ぬ人が現実にいるんだ? ってまっさきに思ったんですよね。僕は人間って自分で自分の首を刺して死ぬっ難しいと思っていたのでビックリしました。ただ、児童を殺してなんになるんだ? って感覚もありました。

 

 加害者は50歳くらいの男性らしいです。無差別殺人ってのは知ってる人を殺すよりも精神的には楽だったりするという見解がありましてですね。人は知らない人、無関係な人を相手にする方が感情移入することなく残酷な事がより多くできてしまうらしいです。そう言われてみると。確かにそうです。よく知らない他人の子供が死ぬよりも、自分の子供が目の前が転倒して膝を擦りむいた方が大事と感じる人は多いです。

 

 こういう事件がおきてしまう。報道されてしまう。それを知ってしまうと何時か、同じような出来事が自分にも起きてしまうのではないか? そんなこと思ってしまうこともあります。ですが、今、この川崎市の無差別殺人殺傷事件に対して僕ができることなんてありません。何故なら僕は今、ウィーンでこの記事を書いてるからです。

 

 遥か、遠くの国でこの事件の報を聞いていたたまれない気持ちになっても、起こってしまった事件を起こらないようにすることはできないです。再発防止のために何か出来ることはあるかもしれませんが。ですが、この事件を知って何故こんなことが起こるのだだろうとも考えしまいます。

 

 じゃあ。なんで50歳のおっさんが児童含む16人を殺傷しないといけないのだ?

 

 そういうのは犯罪を分析する頭の偉い人が考えるんでしょうけどね。僕も少し考えます。考えるよりも、こういうのは集合知というか色々な人の意見をピックアップして考えると自分の中で納得できる意見がよく生まれたりするので、はてなブックマークのコメントで気になるの選んで考えていきましょう。

 

 

 格差が広がって、子供が「勝ち組だけが持てる贅沢品」と見なされている今、無敵の人が上の階級に一矢報いる手段としてこういう事件が増えそうで怖い。 

  kpkpkpchang

 

 

 格差が広がると、勝ち組に一矢報いる手段として勝ち組の証である子供に危害を加えるという。他人が羨ましいから他人の大事なものを壊すという。そうとう損得を超えた状態であるとしか思えない。子供を殺しても、壊しても、無敵の人は幸せになれない。いや、無敵の人の幸せが、勝ち組の人間が少しでも不幸になることだというなら「無敵の人」はもじ通り無敵の人ですよ。怖いです。

 

 

 

人生どうでも良くなった時、自分より強いやつに向かっていくやつはいない。結局どんな状況に落ちぶれたとしてもマウント取りたい欲求が最後に残る。やはり人間はどこまで行っても猿から脱却できないのだろうか? 

gnagaoka 

 

  人生どうてもよくなることなんて、僕はよくあるのですが。寝たておきたらさらにどうでもよくなるのでこの考えは良くわかりません。個人的には自分より強い奴に向かっていくのは身の程知らずだし、何かを倒そうと思ったら自分の戦力と戦う相手の戦力差を考えてから戦うのは基本なので、落ちぶれても、落ちぶれてなくても自分よりも弱い者を倒しにいくのは基本です。むしろ、自分より強い奴に向かっていくのは頭が悪く長生きできないタイプでしょう。RPGでも雑魚を倒してレベルアップしてボスよりも戦力が強くなったらボスを倒しに行かないとゲームクリアは難しいです。しかし、現実はゲームじゃないです。誰かを倒してもレベルアップはしないです。

 

 

ますます子供作りたくなくなる 

train819 

 

 そうですよね。子供が狙われて殺されるリスクを考えたら子供をつくりたくなくなる。そう考える人もでてくるわけですよ。

 

 

 後、ブコメで多かったのが

 

 一人で死ねだったかな。

 

  一人で死ぬのが嫌だったからこうなったわけですよ。人間は一人で死ぬのが嫌だと思う人は一人になったらあかんのかもしれんね。

 

  ブコメを見てると色々と思うところができましたが。

 

 結局はほとんとど、大多数の人はこの事件を関心のある出来事として消費していくだけなんですよ。

 

 それだけなんです。

 それが現実です。 

 でも、それはわりと重要ではないんです。

 消費されて行くという時点で。

 残酷な現実は無自覚で何もしない大多数の関心を一時的に惹きつけるだけで何も解決しない事が多いです。

 

 虚しい......。